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 >>はじめての石見銀山 >名称の由来
 はじめての石見銀山 タイトル−名称の由来

この<石見銀山・いわみぎんざん>の標記や呼称が、いつごろからそうなったか
について、手繰ってみた。

16世紀、戦国以来長く銀山を支配した、毛利元就の書状などにも、
<石見・いわみ>と、<銀山・かなやま>としかない。

この経緯に関する書物を追っていくと、

 大田郡の銀山、

 佐摩銀山、

 温泉銀山、

 石見国銀山、

 大森銀山 など・・・だとある。

やがて、17世紀に入り、江戸時代初期・慶長年間の二代目奉行竹村丹後守の
覚書あたりから、<石見国銀山>が定着し、更には<石見銀山ねずみとり>の
普及と共に広まったと説かれている。

ちなみに、私の子供の頃は<大森銀山>で通っていたが、現在では広く <石見
銀山>として呼ばれるようになった。

 ■石見銀山の概要
 □名称の由来
 ■開発の歴史(1)
 ■開発の歴史(2)
 ■灰吹法とは
 ■世界遺産たる価値

 
 龍源寺間歩について
 ■龍源寺間歩とは
 ■龍源寺間歩の内部(1)
 ■龍源寺間歩の内部(2)
 ■龍源寺間歩の内部(3)
 ■当時の採掘環境
 
 石見銀山あれこれ
 ■当時の人口について
 ■無駄にも思える大きな通路
 ■産出量・含有率
 ■坑内の明かり
 ■石見銀山ねずみとりの真実
 ■鉱山労働を支えた人々
 ■石見銀山の法制史
 
 動画でみる石見銀山
 ■石見銀山シリーズ(現13編)
 ■世界遺産センター紹介
 ■熊谷家住宅
 
 地元人の想い
 ■石見銀山の真の価値とは
 ■想い
 

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