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 >>はじめての石見銀山 >開発の歴史(2)
 はじめての石見銀山 タイトル−開発の歴史(2)

銀山発見のきっかけとされる一つとして、良く説明されるものに、本草学の見地
から <鉱山の指標植物>といわれる、ヘビノネゴザ(蛇の寝御蓙)がある。
冬に枯れ、春芽吹き、夏は濃い緑色に輝いて柔らかい様は、如何にも、蛇に優し
い寝茣の感がある。冬季を除き、坑道の入口付近にも多く見うけられるこのシダ
植物は、別名<カナヤマグサ>とも呼ばれて、 金銀銅など重金属を含む土壌を
好み生える。
ヘビノネゴザ

仙ノ山は、古くから修験の山であって、山野を巡り修行した修験者などは、多くの
経験の中に そのような知識も持ち合せていたのであろう。確かに、この周辺の林
にも多く自生する。 同様に、出雲の鷺銅山や、津和野の笹ケ谷銅山など、古い
鉱山の坑道跡周辺にも多く見られる。

そして、もう一つの発見の目安は、至って単純なものだ。
この仙ノ山の周辺あちこちに、露頭掘りの跡が残っていることから、地表に噴出し
冷えて固まった自然銀が、 様々な形で広がっていて、早くから人の目に触れてい
たと考えられることだ。

鉱山の知識と関心のある者には、格好の目印であったと思われる。
それを確認できる場所が近くにも幾つかあって、必見の場所だ。

龍源寺間歩を出て、山神宮・佐毘売山神社を過ぎた先の分かれ道を、左の遊歩
道に進み、 橋の手前辺りの左側岩肌に、縦に裂けた割れ目が幾筋も見える。
これが、露出し見えていた鉱脈を掘った露頭掘の跡で、奥に位置する龍源寺間
歩の鉱脈に続くものだ。下に見える間歩番号のある穴は、続く鉱脈を追い地下に
掘り進んだ坑道の跡だ。

仮称:<太鼓堂下露頭>とする。

太鼓堂下露頭

また、岩肌を見て解るように、露出した岩肌は時に砕けて谷に転び、川に流され
散らばることで、 より一層人の目に触れ易くなったと思われる。 このように谷筋
の転石から始まる岩盤に露出する鉱脈の探査は、古来<見立て>といわれる
探鉱技術の基本であったという。

石見銀山に残される江戸時代の遺跡群は、ヨーロッパや中南米の鉱山における
牛馬や機械の力を借りた、 いわゆる<労働節約型>の鉱山活動とは異なり、
東アジアのそれに特徴的な、主に人力・手作業による緻密な <労働集約型>と
もいえる典型が克明に残る貴重な鉱山遺跡だ。そして、このような小規模集団の
密集した集合体が石見銀山の鉱山活動を支えていた。

またここに特筆すべきは、国内に数ある公開される鉱山遺跡にあって、歴史的
価値のある実際の坑道跡に、直接しかも安全に入り・触れ・検証出来るのは、
ここ石見銀山遺跡だけだ。
それは、広く一般に公開することで、一層の理解を深めるために、地元関係者の
尽力により、 あえて龍源寺間歩の一部分を鉱業権域から除外したことによるもの
だ。 まさに関係者の知恵と努力の賜物ともいえる。

現在でも、石見銀山遺跡では、長きにわたり発掘調査が続けられている。
つい先般も、出口近くの谷<昆布山谷>に、新しい歴史的発見があって、公表
されたばかりだ。

広い遺跡エリアの更なる発掘の成果に、夢と期待が膨らむ、なお楽しみな世界
遺産、 それが石見銀山遺跡だ。

 ■石見銀山の概要
 ■名称の由来
 ■開発の歴史(1)
 □開発の歴史(2)
 ■灰吹法とは
 ■世界遺産たる価値

 
 龍源寺間歩について
 ■龍源寺間歩とは
 ■龍源寺間歩の内部(1)
 ■龍源寺間歩の内部(2)
 ■龍源寺間歩の内部(3)
 ■当時の採掘環境
 
 石見銀山あれこれ
 ■当時の人口について
 ■無駄にも思える大きな通路
 ■産出量・含有率
 ■坑内の明かり
 ■石見銀山ねずみとりの真実
 ■鉱山労働を支えた人々
 ■石見銀山の法制史
 
 動画でみる石見銀山
 ■石見銀山シリーズ(現13編)
 ■世界遺産センター紹介
 ■熊谷家住宅
 
 地元人の想い
 ■石見銀山の真の価値とは
 ■想い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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