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はじめての石見銀山 | ここ石見銀山遺跡の中で、多くの人が訪れる場所が、公開坑道・龍源寺間歩だ。
その名<龍源寺>は、一説にかつて当たりにあった寺の名に由来するともいう。 龍源寺間歩は、江戸時代中期、正徳5年(1715年)から開発され、昭和18年 坑道の入口は、四本の支柱で支えられた、<四ツ留>と呼ばれる坑口特有の 開発当初は、現坑口のすぐ左隣りの小さな穴・525番間歩から掘られ、後にトロッ
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■石見銀山の概要 ■名称の由来 ■開発の歴史(1) ■開発の歴史(2) ■灰吹法とは ■世界遺産たる価値 |
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龍源寺間歩について | ||
□龍源寺間歩とは ■龍源寺間歩の内部(1) ■龍源寺間歩の内部(2) ■龍源寺間歩の内部(3) ■当時の採掘環境 |
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石見銀山あれこれ | ||
■当時の人口について ■無駄にも思える大きな通路 ■産出量・含有率 ■坑内の明かり ■石見銀山ねずみとりの真実 ■鉱山労働を支えた人々 ■石見銀山の法制史 |
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動画でみる石見銀山 | ||
■石見銀山シリーズ(現13編) ■世界遺産センター紹介 ■熊谷家住宅 |
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地元人の想い | ||
■石見銀山の真の価値とは ■想い
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