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はじめての石見銀山 | この硬い岩石を、手彫りで600メートルとは、果たしてどのような世界であったの 江戸時代の記録に、その一時期1日5交代で、幅2尺・高さ4尺の広さを10日間 また、下世話な余談で恐縮だが、銀山では若後家が多く、女は男を複数持つなど しかし、この劣悪な環境を、ただ放置したわけではない。 更に面白いのは、送風機を数台連結し、端に薬草を煎じる釜を置き、その湯気を 坑内での労働の様子の一端は、出口に向かう新坑道に展示されている、江戸時
ところで、坑道の内部構造を、よく<アリの巣>に例えられるが、絵巻や資料など たまに尋ねられる事柄で、坑内での坑夫たちの用便・排泄がどのようであったか 江戸後期の代官所の記録の中に、代官所直営の<大久保間歩>の入り口付近 古くから、厠(かわや=川の上に掛けて作った屋、便所)というように、流れをまたいで用を足す原始的な方法が想像できる。幸いにも豊富に地下水があったことを考えれば、殊更に悩むことではなかったが、ついつい根拠を得て納得したいところだ。 ただ、狭い中に多くがひしめく状況、言わば公共の場所であって、場所や方法などそれなりのルールなり、記録にならない不文律など、ありそうなものではあるが、他の鉱山の例など知らないし、根拠もなくお答えできない。 因みに、「雪隠(せっちん・せついん)」は、中国・浙江の寺で、厠の掃除を司どった禅師の名前に始まるという。
しかし、このわずかな部分に秘められた、色々な情報に触れ、様々な謎が解けた
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■石見銀山の概要 ■名称の由来 ■開発の歴史(1) ■開発の歴史(2) ■灰吹法とは ■世界遺産たる価値 |
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龍源寺間歩について | ||
■龍源寺間歩とは ■龍源寺間歩の内部(1) ■龍源寺間歩の内部(2) ■龍源寺間歩の内部(3) □当時の採掘環境 |
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石見銀山あれこれ | ||
■当時の人口について ■無駄にも思える大きな通路 ■産出量・含有率 ■坑内の明かり ■石見銀山ねずみとりの真実 ■鉱山労働を支えた人々 ■石見銀山の法制史 |
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動画でみる石見銀山 | ||
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