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 はじめての石見銀山 タイトル−石見銀山の法制史

折角なので、刑罰絡みで少し広げて、石見銀山の法制史にふれてみたい。

街ができ栄えて賑わうと、良からぬ輩が蔓延るのは、古今東西世の常だ。 石見
銀山でも、代官の不始末を含め幾つか事件や犯罪の記録、それに纏わる貴重な
遺跡も残る。しかし、この種の事柄については、真摯で慎重な配慮が必要だし、
逆に過敏になるのもまた不自然だ。

犯罪は時代を映す鏡で、その社会、犯罪の経緯、犯罪と刑罰に関する法制度等
を研究・検証することは、興味本位で歴史や時代を暴くことではなく、正しく知ると
いう大切な学術分野だ。 しかし、この分野に関する説明や資料が欠落しているの
は、その扱い方、捉え方への懸念もあってか、法制史や法史学に関心を持つ者
には残念に思うところだ。逆に、正しく伝える努力がないと、誤解や曲解を生み、
結果として、思わぬミスリードを招くことにもなる。

同様の事象について、正しく検証のうえ、然るべき立場が然るべき方策を講じて
いる例を多くみる。これは関係者の歴史に対する理解や意識、広く一般への配慮に関ることだ。そしてそこには、何よりそうさせる、地域の高い文化的意識と地域
力があることをも感じるところだ。

思うに、世界遺産のアウシュビッツや原爆ドーム、絶えない地域紛争や、貧困や
格差など、見て初めて伝わることもある。惨い、悲惨だと隠し、安易に逃げるので
はなく、だからいけないのだと、教え解らせる知恵と工夫と努力が大切だ。

世界遺産の趣旨の中にも、自然の成り立ちや、人類の過去を知ることで、現在や
ここに至る過去の色々な違いを理解し、その異質なものを認め合う寛容さを学べ
と言っているように思う。 よく言われる、戦争の記憶、独裁者の記録、事件の真相
など、無関心だったり忘れたりすると、いつの間にか知らず知らずのうちに、同じ
過ちを繰り返す。正に、喉元過ぎれば熱さを忘れの例えで、ひたひたと迫る今の
危機を見過ごす。大切なのは、物事は正しく見せること伝えることで、歴史は覚え
るのでは無く、生かすために学ぶことだと痛切に思う。

史跡 千人壷

 ■石見銀山の概要
 ■名称の由来
 ■開発の歴史(1)
 ■開発の歴史(2)
 ■灰吹法とは
 ■世界遺産たる価値

 
 龍源寺間歩について
 ■龍源寺間歩とは
 ■龍源寺間歩の内部(1)
 ■龍源寺間歩の内部(2)
 ■龍源寺間歩の内部(3)
 ■当時の採掘環境
 
 石見銀山あれこれ
 ■当時の人口について
 ■無駄にも思える大きな通路
 ■産出量・含有率
 ■坑内の明かり
 ■石見銀山ねずみとりの真実
 ■鉱山労働を支えた人々
 □石見銀山の法制史
 
 動画でみる石見銀山
 ■石見銀山シリーズ(現13編)
 ■世界遺産センター紹介
 ■熊谷家住宅
 
 地元人の想い
 ■石見銀山の真の価値とは
 ■想い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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