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 はじめての石見銀山 タイトル−当時の人口について

石見銀山の最盛期、銀山周辺には家々が軒を連ね、およそ20万人もの住人が
いたという。

もっとも、これは大げさな数字で明らかに違う、と言いつつも、果たして実際はどれ
くらいだったのか。

地元の研究者2人によれば、当時の米の消費量や住宅跡地の数などを根拠に
算定できるという。
失礼ながら、おふたりの説の平均をとれば、推定3・4万人になる。

この山間では大変な数であったことに変わりはなく、「家々は軒を連ねた」というの
も、あながち大げさともいえない。

ただ、私が未だに解らないのは、根拠とされる記述での<銀山の範囲>や人数
は、<銀山の定住人口>をいっているのか?の点だ。
古い記述では、<銀山に出入りする者を含め銀山の・・>とあったように思うが。

ちなみに、平成28年1月1日現在、大田市の人口は36,668人、大森町の人口
は411人となっている。

現在の大森町

寺社の数については、あちこち歩き回ると沢山の寺跡・墓地跡があることを実感
する。史料にも、色々で一枚の地図にびっしり寺名を書き込んだもの、時代別に
寺を網羅したものなどある。
百ケ寺とも言われた寺社の数は、ある一時期の数ではなく、統合、分離を含めた
記録にある寺のトータルに思えるのだが、対してこの数は繁栄振りの証拠だとして
根強い反論もあるようだ。

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