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  >>みちくさへの誘い > 往路(9) 白米ケ谷〜山組頭遺宅 高橋家

 往路(銀山公園 発) 白米ケ谷〜

【 白米ケ谷 】 

 

 すぐ先の道幅が膨らんだ辺りの、右山側の急斜面には、戦国期に尼子と毛利
 が戦ったころの伝説から、<白米ケ谷>と呼ぶ斜面だ。山吹城の尼子軍が、
 兵糧攻めを目論む毛利軍の敵前に、月の夜白米を流し水に見せかけ、撤退さ
 せたという、有りそで無さそうな、いや有り得ない昔話が残る。

 昔話といえば、ここでも<日本昔ばなし>にある、何処にでもある後付けの話
 は沢山伝えられている。

【 福神山間歩 路傍の穴 】 

   

 進むうちに、この辺りから路の脇に番号札の付いた穴が点在する。
 これは、小さなものは試掘のためか目的は不明だが、人の手で掘られた穴だ。

 そしてひときわ大きいのが、この福神山間歩だ。
 これが銅を産出した坑道の跡で『間歩(まぶ)』は、坑道のことをいう。
 個人経営の「自分山」だが、一時期は代官所経営の「御直山」だったこともある。

 この抗口から掘り始めたが、鉱脈を探すうち足元の道路と川を潜り、反対側の
 仙ノ山の鉱脈を掘り当てたという、曰く付きの坑道跡だ。

 またここでは、採掘本坑のほか、排気坑、疏水坑の三本が掘られていて、採掘
 本坑口は斜面上の林の中にあるという。

【 駐輪場 太鼓堂跡 】 

 

 自転車もここまで。
 徒歩で更に200メートルほど進むと、目差す龍源寺間歩だ。
 ただここの橋を左に渡ると、突き当りが一方通行の間歩の出口なので、看板の
 指示にくれぐれも注意・・・。

 もちろん、太鼓堂下露頭や佐毘売山神社や土産店など、出口手前までにご用
 の方は、その限りではない。 先の、二つ目の橋の左上の木々に埋もれた尾根
 には、時を告げ災害を知らせるために太鼓を打ち鳴らしたという、「太鼓堂」が
 あった。なお、ここ銀山で、歴史的にいう太鼓は、この「時太鼓」のことだ。
 その太鼓は、山神宮にあると聞くが定かではない。

【 山組頭遺宅 高橋家 】 

 

 有力な山師・鉱山経営者で、財を成し代官所から銀山の責任者・山組頭にも
 任ぜられた。川を挟んで向かいの風流の庭も、その名残を漂わせる。

 江戸・」安政期に当主が書き記した日記は、当時の銀山の上流社会の暮らし
 などを具体的に綴り、興味深く貴重なもので、他にも多くを今に伝えている。

 その一部でも許す限りで、市民感覚での公開を願いたいものだ。

 ▽銀山公園 〜
 ▽蔵泉寺口番所跡〜
 ▽地役人遺宅 渡辺家〜
 ▽下河原吹屋跡〜
 ▽豊栄神社〜

 ▽極楽寺〜
 ▽山吹城大手口〜
 ▽休役所跡〜
 ▼白米ケ谷〜

 ▽間歩群 甘南備坑〜
 
 復路(龍源寺間歩 発)
 ▽順勝寺跡 〜
 ▽新切間歩〜
 ▽清水谷精錬所跡
 ▽安養寺 鏝絵〜
 ▽龍昌寺跡 宝篋印塔〜

 ▽大安寺跡 逆修塔
 ▽妙正寺跡〜

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