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  >>みちくさへの誘い > 往路(2) 蔵泉寺口番所跡〜佐和華谷詩碑

 往路(銀山公園 発) 蔵泉寺口番所跡〜

【 蔵泉寺口番所跡 】 

 

 ここ橋詰の左駐車場一帯は、かつてあった蔵泉寺という寺の名の付く場所で、
 銀山の時代は、町と鉱山地区とを区切る要所で、幕府は銀山一帯を柵列で
 囲って、要所に出入り口と番所を設け役人を置いて、人と物の出入りを監視
 した。以来ここから奥を<銀山>とした。古い絵図にも記されるところだ。

 ただ、蔵泉寺についての記録は乏しく、正確な場所については推定の域を出
 ない。番所の跡地は古い地図などから、車道と右奥の詩碑前の細い水路とに
 挟まれた空き地の辺りと推定される。 引用させて頂いた文献の古地図の右下
 あたりには、柵列、蔵泉坊番所、地役人・坂本清兵エ(渡辺家)、地役人・大住
 軍蔵(渡辺家向い)、天神などの記述が見える。

 なお、この地図の示すように、このエリアを<銀山町>と呼んだ。
 同時に、ここには代官所役人宅のほか、司法・警察の関連施設もあったとも
 され、未だ明かされない歴史をはらむ、学術的にも重要で興味深い場所だ。

 開発に当たっては、事前に地中深く慎重な調査がなされ、正しい発信と慎重な
 開発が望まれるエリアだ。

【 佐和華谷詩碑 】 

 

 銀山橋の先、突き当たりを左に折れてすぐ、右山側奥の桜と芭蕉の脇に佇む
 大きな石碑は、江戸時代の儒学者で書画に優れた「佐和華谷(さわかこく)」の
 詩を刻んだものだ。ぜひ、この時代の社会の有り様と、彼の心境を詠んだ、
 奥深い詩文を味わって貰いたいところだ。

 詩文は、概ね以下のような意味に捉えられるようだ。

 江戸での幕吏の職を辞し故郷に下野し)<華の谷>の里で、古代中国伝説の
 聖君<虞舜>の理想の道を求めて、日々耕し暮らすも、叶わぬままに年老いて
 しまった。
  ※(詩文の読みはこちら(動画で見る石見銀山シリーズ3 4'45〜)を参照

 ここ石見銀山周辺には、華谷の書や絵や碑文が幾つか残されて、書に造詣の
 深い方も多く訪れる。死後に子孫によって建てられたが、その経緯など折角の
 碑陰記は朽ちて見えない。

 詩碑手前の小さな水路の奥から山の斜面にかけては、かつて天神社があった。
 ここはその参道入り口に当たり、周囲に散ばる石灯篭の部材は、その名残りに
 見える。

 そして、詩碑の正面の空き地が、蔵泉寺口の番所があった辺りだ。

 ▽銀山公園 〜
 ▼蔵泉寺口番所跡〜
 ▽地役人遺宅 渡辺家〜
 ▽下河原吹屋跡〜
 ▽豊栄神社〜

 ▽極楽寺〜
 ▽山吹城大手口〜
 ▽休役所跡〜
 ▽白米ケ谷〜

 ▽間歩群 甘南備坑〜
 
 復路(龍源寺間歩 発)
 ▽順勝寺跡 〜
 ▽新切間歩〜
 ▽清水谷精錬所跡
 ▽安養寺 鏝絵〜
 ▽龍昌寺跡 宝篋印塔〜

 ▽大安寺跡 逆修塔
 ▽妙正寺跡〜

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