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  >>みちくさへの誘い > 復路(7) 妙正寺跡〜銀山公園

 往路(銀山公園 発) 妙正寺跡〜

【 妙正寺跡 】

 

 元は清水谷に創建された、石見銀山に残る唯一の日蓮宗の寺だ。
 商工業者をはじめ多くの信仰を集めたが、昭和18年の大水害で本堂・墓所
 などを流失し、その後廃寺となった。このお堂は近年の再建だ。

 本堂周辺や裏の丘陵斜面には、荒れたままの墓地がある。戦国時代から昭和
 にかけての、500基以上を数える大小様々な、墓石、墓塔、墓標が残る。時代
 の長さや社会状況などをも感じさせる、実にバラエティーに富んだ墓石・墓塔が
 並ぶ。

【 狭い木道 山吹の花 】

 

 階段や傾斜のあるも木道は、雨の日など滑りやすいので足元にご注意を・・・。
 この辺りは特に狭いので、離合はゆっくり譲りあってお進み下さい。

 この辺りの右斜面には、初夏に黄色い山吹が群生して見事だ。
 あの太田道潅にまつわる逸話「 七重八重、花はさけども・・・ 」の山吹だが、
 一重は山野に自生し、八重は庭園栽植用、どちらかは実が成らないと聞いた
 が、聞き違いか?。東京・早稲田近くで、道灌が狩りをしたと伝えられる「山吹
 の里」には、石碑だけで山吹はなく、確認してはいない。

 この花について、鉱山に関連していえば、「山吹き」は鉱石を溶かし、金、銀、
 銅などを「吹き分ける」ことをいい、出来たものが山吹色の大判・小判だ。

 また、この茎のスポンジ状の髄を乾燥し、サザエ灯の芯にしたともいう。

 そういえば、作者が子供のころは、山吹鉄砲で遊んだ・・・。

【 銀山公園へ 】

 

. 左に下った先が、銀山橋と銀山公園だ。
 お疲れさまでした。そして長時間のお付き合い、有難う御座いました。

 次回は是非、一部に圏外区間もありますが、多少の参考に、「スマホをお供」に
 お進み下さい。 皆さんには、これに懲りず、飽きず、さらに多くの地点を訪れ、
 その訪ねた点が線に、線が面に、面が層になるごとく、石見銀山のより広く、高
 く、深く、長く、を楽しんで頂きたい。

 同時に勝手ながら、良くも悪くも、我々の気付かない石見銀山を、多方面から
 ご指摘ご教示頂き、自らの糧としたいところだ。

 以上は、一地元人の頗る私的、感覚的、独善的説明で、しかも歩くペースでの
 内容で、内容に浅く薄く、添付の写真につい不十分なものです。

 色々な媒体に、沢山の研究者、権威による著述など多くあり、それらを検索、
 参照の上、確認・補足されることを、お願い致します。

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