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  >>みちくさへの誘い > 復路(1) 順勝寺跡〜緑陰の道 紅葉の路

 往路(銀山公園 発) 順勝寺跡〜

 龍源寺間歩を出て、緩やかな下り坂を暫く進む。

 

 右に「佐毘売山神社」、左に「太鼓堂下露頭」を見て、突き当たりの「高橋家
 住宅」を右に進み、帰途につく。 駐輪場から、しばらくは来た道を戻る。

【 順勝寺跡 宗岡佐渡守比翼塚 】 

 

 福神山間歩の向かいの、川を挟んだ林の中を分け入ると順勝寺跡だが、寺の
 痕跡はほぼ無い。

 川の飛び石を渡った先の、林と茂みを上り進むと、宗岡佐渡守の「比翼塚」が
 ある。 宗岡佐渡は、元は毛利氏に仕えたが、徳川の銀山支配のため、吉岡
 出雲らとともに石見に赴き、初代銀山奉行・大久保長安の下で働き、特に「鉱
 山の見立て」に優れて功績を上げた。

 その後に佐渡を任され、吉岡出雲と同様に石見の鉱山技術を伝えて、佐渡
 金銀山の繁栄に貢献した。後に子孫が建てた、妻の墓と並ぶ比翼塚は、この
 辺りでは珍しいものだ。

 「比翼塚」とは、相思の男女を一緒に葬った塚「夫婦塚」のことで、ぜひ見て
 貰いたいが、残念ながら途中林は荒れていて危険。不慣れな一般の方には、
 現時点お勧めできない。将来、整備されることへの期待を込めて、今回ここで
 紹介だけをしておく。 ただ、比翼ではないが夫婦で並ぶ墓は、第二代銀山奉行
 武村丹後守のものが、街中の代官所裏の勝源寺境内にある。ただし妻の墓石
 は無縁墓塔だ。

【 旧極楽寺跡 吉岡出雲守墓 】 

 

 吉岡出雲は、毛利氏に仕えた長門の武士で、徳川家康の銀山支配に伴い、
 宗岡佐渡と同様に初代銀山奉行・大久保長安に推挙され銀山付役人となった。

 後に、伊豆や佐渡に派遣され功績をあげた。 なお、銀精錬技術、灰吹法など
 の鉱山技術や鉱山経営のノウハウなどが、石見銀山から国内のほかの鉱山
 に伝えられて、国内の産銀量の飛躍的な増産に寄与したと説明されるのは、
 このような流れをいう。

 旧極楽寺跡は長い階段のすぐ上辺りだが、荒れて崩れた石垣や、砕けた灯篭
 などが残るのみとなっている。また、吉岡出雲の墓とされる立派な宝篋印塔は、
 雑木・倒木深く足元危険なので、確たる同行者がないとお勧めしない。

 立派な墓を残すほど多くの功績をここに残した代官として紹介する。

【 緑陰の道 紅葉の路 】 

 

 ここから暫くは、木々のそよぎと銀山川のせせらぎに、癒される道だ。
 新緑のころ、紅葉のころ、冬枯れに雪のある日も風情がある。
 また、年中耳に心地よいのは、木々を揺らす風の音、遠く近くに聞く名も知らぬ
 鳥たちのさえずり。春から初夏の鶯、梅雨のモリアオガエルの太い声、うるさい
 夏の蝉しぐれ、秋ぐちの物悲しい蝉の声、初冬に踏み進む枯葉のきしみや風
 に舞う乾いた音、笹原を打つあられの音、厳冬に雪の重みに耐えきれず裂け
 る竹の音、えだに積もった雪が風で落ちるもまた良い・・・、どれもが楽しい。

 勿論、四季折々の野の花も良い。和むも良しカメラに良しだ。やはり遊歩道は
 大勢でせかれて歩くより、少人数でゆっくりが良い。 このコースは、概ね陰気な
 話になるが、気ままに歩けば文字通り「道草の楽しみ」だ。

 この先は、遊歩道らしい趣のある路が続く。
 ただ、急斜面に囲まれた狭い山間の自然道で、点検、安全確認はするも、
 まれに落石・転石などあって、現地の「注意喚起・規制」にはご留意ください。

 この先は、遊歩道らしい趣のある路が続く。
 ただ、急斜面に囲まれた狭い山間の自然道で、点検・安全確認はするも、
 稀に落石・転石などあって、現地の注意喚起・規制」にはご留意ください。

 ▽銀山公園 〜
 ▽蔵泉寺口番所跡〜
 ▽地役人遺宅 渡辺家〜
 ▽下河原吹屋跡〜
 ▽豊栄神社〜

 ▽極楽寺〜
 ▽山吹城大手口〜
 ▽休役所跡〜
 ▽白米ケ谷〜

 ▽間歩群 甘南備坑〜
 
 復路(龍源寺間歩 発)
 ▼順勝寺跡 〜
 ▽新切間歩〜
 ▽清水谷精錬所跡
 ▽安養寺 鏝絵〜
 ▽龍昌寺跡 宝篋印塔〜

 ▽大安寺跡 逆修塔
 ▽妙正寺跡〜

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